アプリ公開記念1995年WEB掲載の黒歴史(笑)

1995年発信のクリエイターの実力

個人情報もバリバリ公開の良き時代
1995年って何?そうです。WINDOWS95の発売された年です。(わかりやすい)ハイ、ちゃんと平成です。夜の11時から、ピーヒャラヒャラってインターネットプロバイダーにつないで、ネットサーフィン(死語)してた頃です。まだ日本のYAHOOもなく(私がやろうかなと思っていた頃)まさに、世はインターネット時代の幕開けという時代です。とりあえず、HPというものを立ち上げて何かしたいと思ったYAMSは、このプアな回線の時代にストリーミング放送をおこないました(我ながらすげー)AMラジオさながらのクオリティです。
とりあえず海外のYAHOOにHP登録をしてみました。日本は数少なく、まして道内は北大とYAMSだけだったと思います。その中で父方の本家がございます、地元の紹介を掲載いたしました。フォトショップはバージョン2が出たか出ないかの頃だったと記憶しております。我がサーバーの物持ちの良さと、今アプリを公開するにあたって、1995年のコンテンツを今一度公開したいと思います。なかなかシュールですぞ(笑)それでは、下記から、どうぞお楽しみください。


あこがれの猿払村(さるふつむら)ってどんなところ?
なんったて日本一広い村。

その面積たるもの約588.48平方キロメートル。

出来たのは大正13年1月1日(ホントか?)

人口約4000人のとってものどかで風の強い所なのだ!

風の強い日、自転車に乗ろうものならそう!

貴方の想像どうり追い風は天国

向かい風は試練に立ち向かうスポーツ選手のように

思いっきり立ってこがなくては前には進めない

(立ってもあまり進まないけど)

傘はすぐ壊れちゃうし

冬はもちろん雪も降る

さらに風が吹いたらブリザード

この村は閉ざされる。

猿払村にインデギルカ号の記念碑が建っている。

(下記の図にあるトド島に注目)

この島にぶつかったソ連の船というのが何を隠そう、

このインデギルカ号という船なのである。

小学生位に読んだ本によると

(その本には、私のおばさんも出演している)

その昔、インデギルカ号がぶつかって村中そりゃもう大騒ぎだったらしい。

それをみんなで助けて、何百人もの命を救った。

当時ソ連と日本は仲が良くなかった訳で、

それでも村のみんなが助けたから

ソ連の人々は大変感謝したそうな。

そしてその友好の記念として立てられたのが

インデギルカ号の記念碑だった訳です。
それにしても、猿払村の浜にはいろんな物が流れてきます。

その船が難破したときもいろいろ流れてきたけれど

大韓航空機墜落の時も、いろーんな物が流れてきました。

海ってよく考えると怖いよね...
亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。

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